1449年
上杉持朝、河越の仙波館(今の長徳寺)に隠居
1457年
上杉持朝の命により太田道真、道灌、河越城を築城
太田道真または道灌、岩付城を築城
*この年に太田道灌は江戸城も築城する。これにより武蔵の国の中心は、府中から江戸に移った。
1457年-1467年
河越城主 上杉持朝
1462年
足利義政、上杉持朝の旧領を復し、河越を与える
1486年
上杉定正(上杉持朝の三男)、太田道灌を謀殺
*関東管領の上杉氏は、扇谷()、山内()など4家に別れていた。15世紀以降は、扇谷、山内が内紛を繰り返した。1546年に、扇谷上杉が滅び、最後に残った山内上杉も1561年に上杉謙信に家名を譲り、本来の上杉家は滅亡した。
関東管領
*扇谷上杉家
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