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Chủ Nhật, 22 tháng 8, 2010
Thứ Sáu, 23 tháng 7, 2010
蓮馨寺コラム
- 蓮馨寺案内
- 蓮馨寺の後北条群像 ー 大道寺政繁 蓮馨尼 存貞 存応 呑龍 知鑑 ー
- 蓮馨尼:蓮馨寺(れんけいじ)の開祖
- 存貞:蓮馨寺初代から増上寺第10世に
- 存応:徳川家を増上寺の檀家に
- 天海、川越・蓮馨寺の存応と論争
- 源譽存応:法台寺、蓮馨寺、長伝寺、増上寺
- 呑龍:芝の増上寺、太田市の大光院、川越の蓮馨寺
- 呑龍:貧しい子供を養育した社会事業の先駆者
- 知鑑: 蓮馨寺住職から知恩院の法主に
- 粂原恒久セミナー 2009年 10月20日
- 蓮馨寺ものがたり
- 蓮馨寺 粂原恒久住職
- 蓮馨寺(れんけいじ)のキーワード
- 蓮馨寺界隈今昔物語
- 蓮馨寺には後北条のミツウロコも
- 蓮馨寺には15代にわたる徳川将軍の位牌が
- 蓮馨寺日鑑が県指定有形文化財に
- 法然、浄土宗、増上寺、蓮馨寺
- 仏教を万人のものにした法然
- 裏鬼門に増上寺
- 井沢元彦:日本も宗教戦争の時代が
- 太田道灌の山車
- 2代将軍、徳川秀忠の位牌は川越の蓮馨寺に
- 鶴川座
- 浄土宗のページ
* * *
蓮馨寺は、1549年蓮馨尼(れんけいに)が創建しました。
蓮馨尼は、川越城代・大道寺政繁の母にあたります。
蓮馨寺(れんけいじ)は、徳川家康により、関東18壇林(僧侶養成大学)のひとつに定められました。
蓮馨寺を開山した初代住職の感誉存貞(ぞんてい)は、のちに浄土宗大本山・増上寺の第10代法主(ほっす)になりました。
蓮馨寺には、15代にわたる徳川将軍の位牌が安置されています。
150年間にわたって記された公用の『蓮馨寺日鑑』は、県文化財で、今解読中です。
浄土宗を開いた法然が晩年をすごした知恩院の集会堂(しゅうえどう)には、蓮馨寺の阿弥陀像が鎮座しています。
毎月8日は呑龍(どんりゅう)デーで縁日が開かれます。
呑龍は、捨て子や貧しい人々の子供を受け入れ、「子育て呑龍」と呼ばれ、民衆から尊敬されました。
蓮馨寺はまた、川越太麺焼きそばの発祥の地でもあります。
蓮馨寺は、家康の江戸城、京都の知恩院、芝の増上寺、群馬県太田市の大光院とゆかりがあります。大光院は、徳川家康が先祖をまつるために創建しました。
熊野神社 は蓮馨寺の境内にありました。
見立寺(けんりゅうじ)は大道寺正繁が開きました。
蓮馨寺は、1549年蓮馨尼(れんけいに)が創建しました。
蓮馨尼は、川越城代・大道寺政繁の母にあたります。
蓮馨寺(れんけいじ)は、徳川家康により、関東18壇林(僧侶養成大学)のひとつに定められました。
蓮馨寺を開山した初代住職の感誉存貞(ぞんてい)は、のちに浄土宗大本山・増上寺の第10代法主(ほっす)になりました。
蓮馨寺には、15代にわたる徳川将軍の位牌が安置されています。
150年間にわたって記された公用の『蓮馨寺日鑑』は、県文化財で、今解読中です。
浄土宗を開いた法然が晩年をすごした知恩院の集会堂(しゅうえどう)には、蓮馨寺の阿弥陀像が鎮座しています。
毎月8日は呑龍(どんりゅう)デーで縁日が開かれます。
呑龍は、捨て子や貧しい人々の子供を受け入れ、「子育て呑龍」と呼ばれ、民衆から尊敬されました。
蓮馨寺はまた、川越太麺焼きそばの発祥の地でもあります。
蓮馨寺は、家康の江戸城、京都の知恩院、芝の増上寺、群馬県太田市の大光院とゆかりがあります。大光院は、徳川家康が先祖をまつるために創建しました。
熊野神社 は蓮馨寺の境内にありました。
見立寺(けんりゅうじ)は大道寺正繁が開きました。
Thứ Bảy, 10 tháng 7, 2010
般若心経のページ。読み方
【読経 どきょう 】
般若心経 字幕付き *字幕付き
般若心経の現代語訳が素晴らし過ぎた件【3+】
般若心経ポップ【】
和楽・般若心経ポップ【】
新訳般若心経【5+】
◇ ◆ ◇
(印刷用)
1 摩訶・般若波羅蜜多心経
2 観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
3 舎利子。
4 色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受想行識亦復如是。
5 舎利子。
6 是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
7 是故空中、無色、無受想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。
8 無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
9 無苦・集・滅・道。無智亦無得。
以無所得故、
10 菩提薩埵、依般若波羅蜜多、故心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
11 三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
12 故知、般若波羅蜜多、是大神咒、是大明咒、是無上咒、是無等等
咒能除一切苦、真実不虚。
13 故説。般若波羅蜜多咒。
即説咒曰、掲諦掲諦、波羅掲諦、波羅僧掲諦、
菩提薩婆訶。般若心経
◇ ◆ ◇
1 摩訶般若波羅蜜多心経 まかはんにゃはらみったしんぎょう
(偉大な智慧の真理をきわめる大切な教え)
2 観自在菩薩。 かんじざいぼさつ
(自由に真理を観ることのできる菩薩は、)
行深般若波羅蜜多時、 ぎょうじんはんにゃはらみったじ
(深い英知に依って、 )
照見五蘊皆空、 しょうけんごうんかいくう
(すべての現象は、全て空であると喝破して、)
度一切苦厄。 どいっさいくやく
(一切の苦悩厄災から免れた。)
----------
3 舎利子。 しゃりし
(舎利子よ。)
色不異空、 しきふいくう
(現象は空を離れては無い)
空不異色、 くうふいしき
(空は現象を離れてはない。)
色即是空、 しきそくぜくう
(肉体はそのまま空であり、)
空即是色、 くうそくぜしき
(空はそのまま肉体である。)
受想行識 じゅそうぎょうしき
(感覚も想念も愛欲も、或いは自我という精神組織も、)
亦復如是。 やくぶにょぜ
(みなその通りである。)
----------
5 舎利子。 しゃりし
(舎利子よ。)
6 是諸法空相、 ぜしょほうくうそう
(すべては空であるから、)
不生不滅、 ふしょうふめつ
(生ずることもなければ、滅することもない。)
不垢不浄、 ふくふじょう
(汚れもしなければ、きれいにもならない。)
不増不減。 ふぞうふげん
(増えもせねば減りもしない。)
7 是故空中、無色、 ぜこくうちゅうむしき
(だから空の中には、肉体もなく、)
無受想・行・識、 むじゅそうぎょうしき
(感覚も想念も意欲も自我もない。)
無眼・耳・鼻・舌・身・意、 むげんにびぜつしんい
(眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、躰も無い。)
無色・声・香・味・触・法。 むしきしょうこうみそくほう
(色もなく、声もなく、香もなく、味もなく、触れられるものもなく、想われるものもない。)
無眼界、 むげんかい
(かつて見た世界もなければ、)
乃至、無意識界。 ないしむいしきかい
(かつて想うた世界もない。)
8 無無明・ むむみょう
(盲目的本能もなければ、)
亦無無明尽、 やくむむみょうじん
(盲目的本能のなくなることもない。)
乃至、無老死、 ないしむろうし
(また老死の苦しみもなければ、)
亦無老死尽。 やくむろうしじん
(老死の苦の尽きることもない。)
無苦・集・滅・道。 むくじゅうめつどう
(苦悩もなければ苦悩のもとである貪愛もない。苦悩からの救いもなければ、そのための修行もない。)
無智亦無得。 むちやくむとく
(知ったというものもなければ、得たというものもない。)
以無所得故、 いむしょとくこ
(本来得られるべきなにものもないからである。)
10 菩提薩タ、 ぼだいさった
(菩薩は、)
依般若波羅蜜多故、 えはんにゃはらみたこ
(このような徹底した英智に依って、)
心無ケイ礙、 しんむけいげ
(心中何のこだわりもない。)
無ケイ礙故、 むけいげこ
(拘りがないから、恐怖もない。)
無有恐怖、 むうくふ
(恐怖がないから、)
遠離一切顛倒夢想、 おんりいっさいてんどうむそう
(あらゆる混迷邪慳な想念から救われて、)
究竟涅槃。 くきょうねはん
(永遠に静寂なる境地を得られる。)
11 三世諸仏、 さんぜしょぶつ
(三世の諸仏も、)
依般若波羅蜜多故、 えはんにゃはらみたこ
(この偉大なる英知に依って、)
得阿耨多羅三藐三菩提。 とくあのくたらさんみゃくさんぼだい
(阿耨多羅三藐三菩提の境地を得た。)
12 故知、般若波羅蜜多、 こちはんにゃはらみた
(だからこの偉大なる英知こそ、)
是大神呪、 ぜだいじんしゅ
(最も神秘的な呪文であり、)
是大明呪、 ぜだいみょうしゅ
(最も光輝ある呪文であり、)
是無上呪、 ぜむじょうしゅ
(地上最高の呪文であり、)
是無等等呪、 ぜむとうどうしゅ
(他に比類なき、呪文である。)
能除一切苦、 のうじょいっさいく
(この呪文が世の一切の苦難を排除することは、)
真実不虚。 しんじつふこ
(真実であって、一点の虚妄もない。)
13 故説、般若波羅蜜多呪。 こせつはんにゃはらみたしゅ
(では、その偉大なる英知の呪文を示そう。 )
即説呪曰、 そくせつじゅわっ
(真実の智恵に目覚める呪文を説こう)
掲諦掲諦、 ぎゃていぎゃてい
(救われた。救われた。)
波羅掲諦、 はらぎゃてい
(完全に救われた。)
波羅僧掲諦。 はらそうぎゃてい
(みんな完全に救われた。)
菩提薩婆訶。 ぼじそわか
(ここが浄土だった。)
般若心経。 はんにゃしんぎょう
(観自在と称する悟りの道を求めて )
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
般若心経 字幕付き *字幕付き
般若心経の現代語訳が素晴らし過ぎた件【3+】
般若心経ポップ【】
和楽・般若心経ポップ【】
新訳般若心経【5+】
◇ ◆ ◇
(印刷用)
1 摩訶・般若波羅蜜多心経
2 観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
3 舎利子。
4 色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受想行識亦復如是。
5 舎利子。
6 是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
7 是故空中、無色、無受想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。
8 無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
9 無苦・集・滅・道。無智亦無得。
以無所得故、
10 菩提薩埵、依般若波羅蜜多、故心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
11 三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
12 故知、般若波羅蜜多、是大神咒、是大明咒、是無上咒、是無等等
咒能除一切苦、真実不虚。
13 故説。般若波羅蜜多咒。
即説咒曰、掲諦掲諦、波羅掲諦、波羅僧掲諦、
菩提薩婆訶。般若心経
◇ ◆ ◇
1 摩訶般若波羅蜜多心経 まかはんにゃはらみったしんぎょう
(偉大な智慧の真理をきわめる大切な教え)
2 観自在菩薩。 かんじざいぼさつ
(自由に真理を観ることのできる菩薩は、)
行深般若波羅蜜多時、 ぎょうじんはんにゃはらみったじ
(深い英知に依って、 )
照見五蘊皆空、 しょうけんごうんかいくう
(すべての現象は、全て空であると喝破して、)
度一切苦厄。 どいっさいくやく
(一切の苦悩厄災から免れた。)
----------
3 舎利子。 しゃりし
(舎利子よ。)
色不異空、 しきふいくう
(現象は空を離れては無い)
空不異色、 くうふいしき
(空は現象を離れてはない。)
色即是空、 しきそくぜくう
(肉体はそのまま空であり、)
空即是色、 くうそくぜしき
(空はそのまま肉体である。)
受想行識 じゅそうぎょうしき
(感覚も想念も愛欲も、或いは自我という精神組織も、)
亦復如是。 やくぶにょぜ
(みなその通りである。)
----------
5 舎利子。 しゃりし
(舎利子よ。)
6 是諸法空相、 ぜしょほうくうそう
(すべては空であるから、)
不生不滅、 ふしょうふめつ
(生ずることもなければ、滅することもない。)
不垢不浄、 ふくふじょう
(汚れもしなければ、きれいにもならない。)
不増不減。 ふぞうふげん
(増えもせねば減りもしない。)
7 是故空中、無色、 ぜこくうちゅうむしき
(だから空の中には、肉体もなく、)
無受想・行・識、 むじゅそうぎょうしき
(感覚も想念も意欲も自我もない。)
無眼・耳・鼻・舌・身・意、 むげんにびぜつしんい
(眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、躰も無い。)
無色・声・香・味・触・法。 むしきしょうこうみそくほう
(色もなく、声もなく、香もなく、味もなく、触れられるものもなく、想われるものもない。)
無眼界、 むげんかい
(かつて見た世界もなければ、)
乃至、無意識界。 ないしむいしきかい
(かつて想うた世界もない。)
8 無無明・ むむみょう
(盲目的本能もなければ、)
亦無無明尽、 やくむむみょうじん
(盲目的本能のなくなることもない。)
乃至、無老死、 ないしむろうし
(また老死の苦しみもなければ、)
亦無老死尽。 やくむろうしじん
(老死の苦の尽きることもない。)
無苦・集・滅・道。 むくじゅうめつどう
(苦悩もなければ苦悩のもとである貪愛もない。苦悩からの救いもなければ、そのための修行もない。)
無智亦無得。 むちやくむとく
(知ったというものもなければ、得たというものもない。)
以無所得故、 いむしょとくこ
(本来得られるべきなにものもないからである。)
10 菩提薩タ、 ぼだいさった
(菩薩は、)
依般若波羅蜜多故、 えはんにゃはらみたこ
(このような徹底した英智に依って、)
心無ケイ礙、 しんむけいげ
(心中何のこだわりもない。)
無ケイ礙故、 むけいげこ
(拘りがないから、恐怖もない。)
無有恐怖、 むうくふ
(恐怖がないから、)
遠離一切顛倒夢想、 おんりいっさいてんどうむそう
(あらゆる混迷邪慳な想念から救われて、)
究竟涅槃。 くきょうねはん
(永遠に静寂なる境地を得られる。)
11 三世諸仏、 さんぜしょぶつ
(三世の諸仏も、)
依般若波羅蜜多故、 えはんにゃはらみたこ
(この偉大なる英知に依って、)
得阿耨多羅三藐三菩提。 とくあのくたらさんみゃくさんぼだい
(阿耨多羅三藐三菩提の境地を得た。)
12 故知、般若波羅蜜多、 こちはんにゃはらみた
(だからこの偉大なる英知こそ、)
是大神呪、 ぜだいじんしゅ
(最も神秘的な呪文であり、)
是大明呪、 ぜだいみょうしゅ
(最も光輝ある呪文であり、)
是無上呪、 ぜむじょうしゅ
(地上最高の呪文であり、)
是無等等呪、 ぜむとうどうしゅ
(他に比類なき、呪文である。)
能除一切苦、 のうじょいっさいく
(この呪文が世の一切の苦難を排除することは、)
真実不虚。 しんじつふこ
(真実であって、一点の虚妄もない。)
13 故説、般若波羅蜜多呪。 こせつはんにゃはらみたしゅ
(では、その偉大なる英知の呪文を示そう。 )
即説呪曰、 そくせつじゅわっ
(真実の智恵に目覚める呪文を説こう)
掲諦掲諦、 ぎゃていぎゃてい
(救われた。救われた。)
波羅掲諦、 はらぎゃてい
(完全に救われた。)
波羅僧掲諦。 はらそうぎゃてい
(みんな完全に救われた。)
菩提薩婆訶。 ぼじそわか
(ここが浄土だった。)
般若心経。 はんにゃしんぎょう
(観自在と称する悟りの道を求めて )
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Thứ Bảy, 12 tháng 6, 2010
僧は武装していた
武蔵坊弁慶は、七つ道具で武装していました。
平安末期には、有力な寺院には僧兵がいました。
宗教集団の武装は当たり前のことでした。
武蔵坊弁慶【画像】
たとえば、比叡山延暦寺の仏教集団は、朝廷に強訴(ごうそ、集団要求)するときは、日吉大社のみこしをかついで都に押しかけました。
昔は、寺と神社は同じ宗教団体が管理していました。
仏様が神様に変身したとして、仏様と神様は同じだと考えられていました。
ところで、
最澄や空海は、中国から宗教ばかりでなく、最先端の技術をもたらしました。
明治や終戦後に留学生がヨーロッパやアメリカから、最新の思想と技術を持ち帰ってきたようなものです。
油、しょうゆ、紙の製造方法や最新の彫刻技術、木版技術ももたらしました。
これらの技術の許認可権は、朝廷、武士でなく、寺社勢力がもっていました。
製造業者や商人は、これらの製造販売権を寺社に納めることにより、油座、紙座などの「座」の仲間になることを許されました。
関所でも通行料を取っていました。
日本の経済はお寺が握っていました。
無許可で油などを製造したりする違反者を、武力で制裁する手段が必要でした。
それが僧兵集団でした。
*弘法伝説は土木技術から
弘法大師(空海)は、温泉を発見したり、ため池や土手をつくったりして、各地で感謝されていますが、唐からの最新のかんがい技術を駆使したからでしょう。
平安末期には、有力な寺院には僧兵がいました。
宗教集団の武装は当たり前のことでした。
武蔵坊弁慶【画像】
たとえば、比叡山延暦寺の仏教集団は、朝廷に強訴(ごうそ、集団要求)するときは、日吉大社のみこしをかついで都に押しかけました。
昔は、寺と神社は同じ宗教団体が管理していました。
仏様が神様に変身したとして、仏様と神様は同じだと考えられていました。
ところで、
最澄や空海は、中国から宗教ばかりでなく、最先端の技術をもたらしました。
明治や終戦後に留学生がヨーロッパやアメリカから、最新の思想と技術を持ち帰ってきたようなものです。
油、しょうゆ、紙の製造方法や最新の彫刻技術、木版技術ももたらしました。
これらの技術の許認可権は、朝廷、武士でなく、寺社勢力がもっていました。
製造業者や商人は、これらの製造販売権を寺社に納めることにより、油座、紙座などの「座」の仲間になることを許されました。
関所でも通行料を取っていました。
日本の経済はお寺が握っていました。
無許可で油などを製造したりする違反者を、武力で制裁する手段が必要でした。
それが僧兵集団でした。
*弘法伝説は土木技術から
弘法大師(空海)は、温泉を発見したり、ため池や土手をつくったりして、各地で感謝されていますが、唐からの最新のかんがい技術を駆使したからでしょう。
Thứ Bảy, 5 tháng 6, 2010
呑龍:貧しい子供を養育した社会事業の先駆者
呑龍(どんりゅう、1556-1623)は、埼玉県春日部市で生まれました。
蓮馨寺の存応が大本山・増上寺の法主(ほっす)の時に修行僧になりました。
存応の弟子です。
存応は、大本山・増上寺の第12代目法主(ほっす)です。
1590年、徳川家康が入府に際し、徳川家を増上寺の檀家にしました。
徳川家康が、徳川家の先祖をまつる群馬県太田市に大光院(だいこういん)を建立すると、初代住職に抜擢されました。
新田義重は源氏の武将で、新田氏を興しました。
大光院(だいこういん)は、徳川家の祖とされる新田義重(にった よししげ)を供養するための浄土宗の寺です。
関東18壇林(僧侶大学)に属する格式の高い寺です。
呑龍(どんりゅう)は、捨て子や貧しい人々の子供を弟子という名目で受け入れ、養育いたしました。
このため、「子育て呑龍」と呼ばれ、民衆から尊敬されました。
呑龍は、孝心のために国禁の鶴殺しをした子をかくまい続け、諸方に逃れます。
師の存応が、臨終の際、2代徳川秀忠に赦免を願い、呑龍は大光院に復帰しました。
蓮馨寺(れんけいじ)では、正面の呑龍堂に、呑龍上人をまつり、毎月8日を「呑龍デー」という縁日にしています。
蓮馨寺での一番人気は呑龍です。次に存応、存貞と続きます。
子育て呑龍「大光院」
関東18壇林
蓮馨寺の存応が大本山・増上寺の法主(ほっす)の時に修行僧になりました。
存応の弟子です。
存応は、大本山・増上寺の第12代目法主(ほっす)です。
1590年、徳川家康が入府に際し、徳川家を増上寺の檀家にしました。
徳川家康が、徳川家の先祖をまつる群馬県太田市に大光院(だいこういん)を建立すると、初代住職に抜擢されました。
新田義重は源氏の武将で、新田氏を興しました。
大光院(だいこういん)は、徳川家の祖とされる新田義重(にった よししげ)を供養するための浄土宗の寺です。
関東18壇林(僧侶大学)に属する格式の高い寺です。
呑龍(どんりゅう)は、捨て子や貧しい人々の子供を弟子という名目で受け入れ、養育いたしました。
このため、「子育て呑龍」と呼ばれ、民衆から尊敬されました。
呑龍は、孝心のために国禁の鶴殺しをした子をかくまい続け、諸方に逃れます。
師の存応が、臨終の際、2代徳川秀忠に赦免を願い、呑龍は大光院に復帰しました。
蓮馨寺(れんけいじ)では、正面の呑龍堂に、呑龍上人をまつり、毎月8日を「呑龍デー」という縁日にしています。
蓮馨寺での一番人気は呑龍です。次に存応、存貞と続きます。
子育て呑龍「大光院」
関東18壇林
Thứ Bảy, 22 tháng 5, 2010
蓮馨寺日鑑が刊行される。県指定有形文化財。
粂原恒久、宇高良哲編『蓮馨寺日鑑』 平成26年(2014年)8月8日 さらに続いていきます。 |
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『蓮馨寺日鑑(れんけいじ にっかん)』 |
![]() |
1851年- 1854年の日鑑 |
![]() |
『蓮馨寺日鑑』の中身。解読作業中 |
『蓮馨寺日鑑(れんけいじにっかん)』70冊が、2008年埼玉県指定有形文化財に指定されました。
日鑑とは、公用の日記のことです。
1714年から1866年の150年間にかけて記されました。
増上寺、川越藩、幕府、門前町との関係の記録、祭礼の記録、訴訟、嘆願の記録などが納められています。
埼玉県を代表する寺院日鑑です。
蓮馨寺は、徳川家康と浄土宗・増上寺の源誉存応(げんよぞんのう)上人によって、関東18壇林(僧侶養成大学)のひとつに定められました。
◇ ◆ ◇
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蓮馨寺(れんけいじ)の桜。2010年4月 |
Thứ Bảy, 15 tháng 5, 2010
応神天皇:川越八幡宮
応神天皇(おうじんてんのう、201年- 310年)
【川越】川越八幡宮(はちまんぐう)
【埼玉県外】九州の宇佐八幡宮、京都の石清水八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮。応神天皇陵
川越八幡宮(はちまんぐう)は、1030年源頼信が建立しました。
八幡神社は全国でもっとも多い神社で、約1万5000社もあります。
のちに源氏の守護神として信仰されます。
祭神は応神(おうじん)天皇です。
九州の宇佐八幡宮、京都の石清水八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮などもまつっています。
応神天皇は第15代の天皇で、この時期に日本初の広域国家ができあがりました。
漢文化を身につけた人々が多く渡来しました。
大阪府羽曳野市(はびきのし)に応神天皇陵があります。
太田道灌は川越八幡宮をあつく崇敬し、分霊を川越城内の守護神にしました。
土地の人々は川越の守護神と考えています。
境内には、「相撲稲荷」もあります。
こども相撲がおこなわれたりします。
勝負の神として人気があります。
川越八幡宮
アクセス地図
川越八幡宮 【3】
◇ ◆ ◇
応神天皇陵
【川越】川越八幡宮(はちまんぐう)
【埼玉県外】九州の宇佐八幡宮、京都の石清水八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮。応神天皇陵
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八幡通り側からの八幡神社 |
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氏子中(うじこじゅう、氏子の仲間)ののぼり |
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多羅葉樹 葉書の元 葉の裏に文字を書くと消えません |
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縁結びのいちょう 男女のいちょうがひとつに 良縁、夫婦円満にご利益 |
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鳥居の下には、末広がり八の字が |
川越八幡宮(はちまんぐう)は、1030年源頼信が建立しました。
八幡神社は全国でもっとも多い神社で、約1万5000社もあります。
のちに源氏の守護神として信仰されます。
祭神は応神(おうじん)天皇です。
九州の宇佐八幡宮、京都の石清水八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮などもまつっています。
応神天皇は第15代の天皇で、この時期に日本初の広域国家ができあがりました。
漢文化を身につけた人々が多く渡来しました。
大阪府羽曳野市(はびきのし)に応神天皇陵があります。
太田道灌は川越八幡宮をあつく崇敬し、分霊を川越城内の守護神にしました。
土地の人々は川越の守護神と考えています。
境内には、「相撲稲荷」もあります。
こども相撲がおこなわれたりします。
勝負の神として人気があります。
川越八幡宮
アクセス地図
川越八幡宮 【3】
◇ ◆ ◇
応神天皇陵
Thứ Bảy, 1 tháng 5, 2010
川越の中院の年表
中院の山門。左に「日蓮聖人伝法灌頂之寺」
2010年3月
2010年5月
狭山茶発祥の地、中院
中院は なぜ引っ越し?
六地蔵って?
阿弥陀とは <寺社
島崎藤村寄贈の不染亭
中院公式サイト
ライブカメラ
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中院略史
2010年3月
2010年5月
狭山茶発祥の地、中院
中院は なぜ引っ越し?
六地蔵って?
阿弥陀とは <寺社
島崎藤村寄贈の不染亭
中院公式サイト
ライブカメラ
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中院略史
- 830年
(慈覚大師)円仁、勅命により、無量寿寺仏地院を創建。
本尊は阿弥陀如来、他に不動明王、毘沙門天。
*阿弥陀とは - 1205年
兵火で炎上、廃絶 - 1296年
尊海、勅命により、無量寿寺を再興。
官田50石を賜り、関東天台宗の中心に。山号を星野山に。慈恵大師(元三大師)を祀る。尊海は、無量寿寺の子院として、のちの喜多院、南院を建立
*尊海
*慈恵大師 じえだいし 元三大師 がんざんだいし - 年
日蓮、中院にて尊海より伝法灌頂(でんぼうかんじょう、指導者免状)を受ける - 1301年
東国580ヶ寺の本山の勅書 - 1537年
北条氏綱、河越城の上杉朝定を攻撃。兵火により灰燼に - 1612年
家康、天海の進言により関東天台宗の本山を中院から喜多院へ変更 - 1613年
家康、喜多院に500石寄贈、中院に黄金10枚を与える - 1632年
中興 - 1633年
東照宮造営にあたり、中院現在地へ移転 - 1638年
川越大火で、堂宇をすべて焼失。
家光、すぐに復興を命じ、再建 - 1976年
天台宗別格本山特別寺の称号を受ける
Thứ Bảy, 24 tháng 4, 2010
宗教用語
仏教
仏教用語一覧 ウィキペディア
仏教の勉強室
や さしい仏教入門
浄土宗
ジュニア用 神社仏閣辞典
神道
日本の神一覧ウィキペディア
神道用語一覧ウィキペディア
神道専門用語岡山県神社庁
◆記数英◆あ
悪霊
一木造り いちぼくづくり
慰霊
稲荷:屋敷稲荷
氏寺
陰陽道= おんみょうどう 天文や暦などから吉凶を判断する学問。
怨霊信仰
怨霊調伏
怨霊鎮魂
怨霊封じ
●か
開帳
開基 寺院を創建した世俗の信者
開山 寺院を創建した僧のこともいう
開祖 宗派を開いた僧
方違え
貫主(かんじゅ)
勧請、分祀、分霊、*のれん分け
灌頂 :灌(水をそそぐ) 【cf.】灌漑 墓石に水をそそぐのも灌頂の一種
〇き
帰依
祈願時
鬼門 鬼が出入りする門
〇く
供養
〇け
敬神崇仏
境内社
華厳経:あらゆる宗派の根源。東大寺も
〇こ
号 山号→ 院号→ 寺号
ご神体
ご利益
御霊 猛烈な恨みを残して死んだ人の霊 = 怨霊
婚活参拝 (コンカツサンパ イ)
権現造り 本殿と拝殿を石の間でつなぐ社殿の様式
●さ
祭儀
祭祀
〇し
自然歴
太陽や月の運行、動植物の移り変わりなどを目安とした暦。
「カッコウが鳴くから豆をまけ」の類。
子院 本寺と運命共同体の関係。末寺とは違う。末社。小祠(しょうし)
寺:名刹 氏寺 官寺 世間寺 大寺 末寺
社 境内社 摂社 摂末社 惣社 末社
社務所
住職= お寺の代表者。=住持。 職業名:お坊さん、和尚、僧侶、 上人
宗旨
宗門宗派を問わず
主祭神(しゅさいじん)⇔相殿の神
巡行
巡礼
成仏
除霊
神社 神職 宮司 神官
神像 神が神像としてつくられるようになったのは8世紀のこと。仏像の影響。それまでは岩などに宿るとされていた。【cf.】沖縄
深秘= じんぴ
〇
随神像(ずいじんぞう)
〇せ
星辰信仰
善霊
僧侶
祖先 遠祖
●た
大師
壇林 仏教寺院における僧侶の養成機関。関東十八檀林
〇つ
追号 生前の功績をたたえて朝廷からおくられる〇〇大師などの称号。
〇て
天海 3代の将軍に重用される 相談役
天帝思想
伝法 宗派の奥義の形式
鎮魂
導師
〇と
塔 解説板 供養塔 五輪塔 キリーク 石塔 卒塔婆 標柱 墓碑
得度 とくど
●な
名前 俗名
和御霊(にぎみたま) ⇔荒御霊
入寺
●は
拝所
墓
墓誌 墓碑 石碑 墓石 墓域 供養塔 石塔 卒塔婆 標柱 墓碑 〇基
柱 「主(あるじ)」 主(あるじ、霊)の宿るところ
半跏思惟像 はんかしゆい
碑 石碑
聖 ひじり
秘仏
廟(びょう)所
〇ふ
舞楽 ぶがく 神をなぐさめ、願いを届ける儀式
分霊遷座
平和念仏主義
遍路
〇ほ
法灯を継ぐ
法力
北辰:宇宙を支配する最高神 北斗を従える
菩提(ぼだい)寺 先祖をまつる寺
本山
本地
●ま
末寺
祭 祭によって神霊をなぐさめ、霊力を保つようにする
日枝神社の山王祭、神田神社の神田祭、浅草寺の三社祭
魔よけ
〇み
神輿:神を目的地まで運ぶ輿
詣でる
門跡寺院= もんぜき寺院= 宮門跡 皇族が住職となった寺院
●やらわ
霊 悪霊 善霊
霊位
霊力
脇仕(わきじ)
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浄土宗
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◆記数英◆あ
悪霊
一木造り いちぼくづくり
慰霊
稲荷:屋敷稲荷
氏寺
陰陽道= おんみょうどう 天文や暦などから吉凶を判断する学問。
怨霊信仰
怨霊調伏
怨霊鎮魂
怨霊封じ
●か
開帳
開基 寺院を創建した世俗の信者
開山 寺院を創建した僧のこともいう
開祖 宗派を開いた僧
方違え
貫主(かんじゅ)
勧請、分祀、分霊、*のれん分け
灌頂 :灌(水をそそぐ) 【cf.】灌漑 墓石に水をそそぐのも灌頂の一種
〇き
帰依
祈願時
鬼門 鬼が出入りする門
〇く
供養
〇け
敬神崇仏
境内社
華厳経:あらゆる宗派の根源。東大寺も
〇こ
号 山号→ 院号→ 寺号
ご神体
ご利益
御霊 猛烈な恨みを残して死んだ人の霊 = 怨霊
婚活参拝 (コンカツサンパ イ)
権現造り 本殿と拝殿を石の間でつなぐ社殿の様式
●さ
祭儀
祭祀
〇し
自然歴
太陽や月の運行、動植物の移り変わりなどを目安とした暦。
「カッコウが鳴くから豆をまけ」の類。
子院 本寺と運命共同体の関係。末寺とは違う。末社。小祠(しょうし)
寺:名刹 氏寺 官寺 世間寺 大寺 末寺
社 境内社 摂社 摂末社 惣社 末社
社務所
住職= お寺の代表者。=住持。 職業名:お坊さん、和尚、僧侶、 上人
宗旨
宗門宗派を問わず
主祭神(しゅさいじん)⇔相殿の神
巡行
巡礼
成仏
除霊
神社 神職 宮司 神官
神像 神が神像としてつくられるようになったのは8世紀のこと。仏像の影響。それまでは岩などに宿るとされていた。【cf.】沖縄
深秘= じんぴ
〇
随神像(ずいじんぞう)
〇せ
星辰信仰
善霊
僧侶
悪僧 怪僧 学問僧 学僧 官僧 政僧 高僧 名僧 傑僧 私度僧 売僧まいす 遊行僧 妖僧僧侶の呼び名
祖先 遠祖
●た
大師
皇室が高徳な僧侶に授ける死後の尊称塔頭 高僧の墓に建てた塔
壇林 仏教寺院における僧侶の養成機関。関東十八檀林
追号 生前の功績をたたえて朝廷からおくられる〇〇大師などの称号。
〇て
天海 3代の将軍に重用される 相談役
天帝思想
伝法 宗派の奥義の形式
鎮魂
導師
〇と
塔 解説板 供養塔 五輪塔 キリーク 石塔 卒塔婆 標柱 墓碑
得度 とくど
●な
名前 俗名
和御霊(にぎみたま) ⇔荒御霊
入寺
●は
拝所
墓
墓誌 墓碑 石碑 墓石 墓域 供養塔 石塔 卒塔婆 標柱 墓碑 〇基
柱 「主(あるじ)」 主(あるじ、霊)の宿るところ
半跏思惟像 はんかしゆい
碑 石碑
聖 ひじり
秘仏
廟(びょう)所
〇ふ
舞楽 ぶがく 神をなぐさめ、願いを届ける儀式
分霊遷座
平和念仏主義
遍路
〇ほ
法灯を継ぐ
法力
北辰:宇宙を支配する最高神 北斗を従える
菩提(ぼだい)寺 先祖をまつる寺
本山
本地
●ま
末寺
祭 祭によって神霊をなぐさめ、霊力を保つようにする
日枝神社の山王祭、神田神社の神田祭、浅草寺の三社祭
魔よけ
〇み
神輿:神を目的地まで運ぶ輿
詣でる
門跡寺院= もんぜき寺院= 宮門跡 皇族が住職となった寺院
●やらわ
霊 悪霊 善霊
霊位
霊力
脇仕(わきじ)
Thứ Sáu, 16 tháng 4, 2010
大宮氷川神社、川越氷川神社、赤坂氷川神社
川越氷川神社- 大宮氷川神社- 赤坂氷川神社
大宮の氷川神社から、川越氷川神社勧請(かんじょう、のれん分け)されました。
川越氷川神社から、赤坂氷川神社が生まれました。
川越氷川神社
大宮氷川神社
赤坂氷川神社
大宮の氷川神社から、川越氷川神社勧請(かんじょう、のれん分け)されました。
川越氷川神社から、赤坂氷川神社が生まれました。
川越氷川神社
大宮氷川神社
赤坂氷川神社
Thứ Năm, 8 tháng 4, 2010
粂原恒久セミナー 2009年 10月20日 <武蔵観研
粂原恒久セミナー(2009年 10月20日18時半~ 蓮馨寺講堂) キーワード
●あ
葵の紋所
阿弥陀如来
県の指定文化財。
板碑 (いたび
おびんづる様
●か
川越市仏教会
川越大火(1893年、明治26年)
関係寺社
熊野神社
見立寺(けんりゅうじ)
感誉存貞(かんよぞんてい)上人
キャッチフレーズ
ご本尊の阿弥陀如来
学徳一世に秀でた感誉上人
慈愛に満ちた 呑龍上人
親しみあふれる おびんずる様
七福神の福禄寿
粂原恒久(くめはら こうきゅう)
1949川越生まれ。川越高校卒。
慶応大、大正大博士課程了。大正大学などの講師。
専門:浄土教思想史。
著書:『仏教思想へのいざない』他、論文100本以上。
蓮馨寺第48代住職。
境内の飲食
太麺やきそば
焼きだんご
●さ
七福神の福禄寿神
住所: 川越市連雀町7-1
将監(しょうげん)地蔵尊
浄土宗
孤峰山 宝池院 蓮馨寺
孤峰山
宝池
熊野神社
●た
大道寺駿河守政繁
立門前(たつもんぜん)商栄会:鶴川座 、川越織物市場、芋十
檀林、十八檀林
幕府公認の僧侶養成機関
中央通り
呑龍(どんりゅう)上人
社会事業の先駆者
呑龍上人縁日 毎月8日
●は
林崎甚助
北条早雲→ 氏綱→ 氏康
1546年、北条氏綱が河越城を落と す。⇔扇谷上杉(おおぎやつ-うえすぎ)
河越夜戦で活躍した大道寺駿河守政繁は河越城主に
墓地:蓮馨尼、小宮山家、星野家、林崎甚助(居合)
●ま
水舎(みずや)
●やらわ
『蓮馨寺日鑑』公用日誌70 冊。県指定文化財
蓮馨尼
道寺政繁 の実母
蓮馨尼の供養碑
蓮馨寺講堂
蓮馨寺 ま とめ
●あ
葵の紋所
阿弥陀如来
県の指定文化財。
板碑 (いたび
おびんづる様
●か
川越市仏教会
川越大火(1893年、明治26年)
関係寺社
熊野神社
見立寺(けんりゅうじ)
感誉存貞(かんよぞんてい)上人
キャッチフレーズ
ご本尊の阿弥陀如来
学徳一世に秀でた感誉上人
慈愛に満ちた 呑龍上人
親しみあふれる おびんずる様
七福神の福禄寿
粂原恒久(くめはら こうきゅう)
1949川越生まれ。川越高校卒。
慶応大、大正大博士課程了。大正大学などの講師。
専門:浄土教思想史。
著書:『仏教思想へのいざない』他、論文100本以上。
蓮馨寺第48代住職。
境内の飲食
太麺やきそば
焼きだんご
●さ
七福神の福禄寿神
住所: 川越市連雀町7-1
将監(しょうげん)地蔵尊
浄土宗
孤峰山 宝池院 蓮馨寺
孤峰山
宝池
熊野神社
●た
大道寺駿河守政繁
立門前(たつもんぜん)商栄会:鶴川座 、川越織物市場、芋十
檀林、十八檀林
幕府公認の僧侶養成機関
中央通り
呑龍(どんりゅう)上人
社会事業の先駆者
呑龍上人縁日 毎月8日
●は
林崎甚助
北条早雲→ 氏綱→ 氏康
1546年、北条氏綱が河越城を落と す。⇔扇谷上杉(おおぎやつ-うえすぎ)
河越夜戦で活躍した大道寺駿河守政繁は河越城主に
墓地:蓮馨尼、小宮山家、星野家、林崎甚助(居合)
●ま
水舎(みずや)
●やらわ
『蓮馨寺日鑑』公用日誌70 冊。県指定文化財
蓮馨尼
道寺政繁 の実母
蓮馨尼の供養碑
蓮馨寺講堂
蓮馨寺 ま とめ
Thứ Bảy, 27 tháng 3, 2010
インド仏教はなぜ亡んだのか
インドではヒンドゥー教が主な宗教です。
そのヒンドゥー教は、カースト制度としっかり結びついています。
それに対して、仏教は平等思想でもって、
紀元前からヒンドゥー教に対抗していました。
しかし、イスラム教が13世紀に入ってきました。
イスラム教も、仏教と同様、平等思想を骨格にしています。
イスラム教は、仏教より、積極的で、主張が鮮明でした。
イスラム教が盛んになると、仏教徒は次第に、
イスラム教に改宗するようになりました。
あるいは、ヒンドゥー教に吸収されてしまいました。
インド仏教は思弁性が高く、現世利益(げんせりやく)が
ありませんでした。
【cf.】
保坂俊司『インド仏教はなぜ亡んだのか―イスラム史料からの考察』
◇ ◆ ◇
これは他人事ではない!
仏教研究としては型破りの視点だが
インド仏教は在家信者との絆が希薄だったのでは?
そのヒンドゥー教は、カースト制度としっかり結びついています。
それに対して、仏教は平等思想でもって、
紀元前からヒンドゥー教に対抗していました。
しかし、イスラム教が13世紀に入ってきました。
イスラム教も、仏教と同様、平等思想を骨格にしています。
イスラム教は、仏教より、積極的で、主張が鮮明でした。
イスラム教が盛んになると、仏教徒は次第に、
イスラム教に改宗するようになりました。
あるいは、ヒンドゥー教に吸収されてしまいました。
インド仏教は思弁性が高く、現世利益(げんせりやく)が
ありませんでした。
【cf.】
保坂俊司『インド仏教はなぜ亡んだのか―イスラム史料からの考察』
◇ ◆ ◇
保坂 俊司
北樹出版
売り上げランキング: 244305
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おすすめ度の平均: 
Thứ Bảy, 20 tháng 2, 2010
七福神はあるべき国際社会を示唆。川越七福神
七福神は、三国伝来で国際的です。
三国とは、日本、中国、インドのことです。
氏も育ちも違う神や仏が、ひとつの宝船(世界)に乗っかっているのは、
あるべき国際社会を暗示しているようです。
宗教戦争の続く世界に見習ってほしい信仰対象です。
毘沙門天 | インド 、ヒンドゥー教 由来 |
寿老人 | 中国の道教由来 |
大黒天 | インド、ヒンドゥー教由来 |
恵比須天 | これだけが日本のもの |
福禄寿神 | 中国の道教由来 |
布袋尊 | 中国の仏教由来 |
弁財天 | インド、仏教由来 |
反時計回りに回るのがふつうです。
川越の場合は、以下です。
川越の場合は、以下です。
川越の七福神 【地図】
1 毘沙門天(妙善寺)
鎧をまとっています。勝負の神。
上杉謙信は毘沙門天を信仰しました。
2 寿老人(天然寺)
老子が神になった姿で、帽子をかぶっています。
寿(長寿)の神。道教から。
3 大黒天(喜多院)
米俵の上に立っています。頭巾をかぶり、肩に袋をさげています。
富貴の神。農業の神でもあります。
ヒンドゥー教のシバ神の夜の姿が原型です。
大国主神(オオクニヌシ)の「大国」は「だいこく」とも読めるので、
いつしかオオクニヌシをもあらわすようになりました。
オオクニヌシは、出雲大社の神です。
「えびす、だいこく」で日本の2大産業(漁業と農業)の神様となります。
七福神の大黒からオオクニヌシ(大国主)が語呂合わせで誕生
4 恵比須天(成田山)
鯛をかかえています。
商売繁昌の神。「えび」との語呂合わせで漁業の神でもあります。
5 福禄寿神(蓮馨寺)
頭が長~く、長~いヒゲをはやしています。
福(幸福)、禄(財産)、寿(寿命)の神。
6 布袋尊(見立寺)
大きな袋を背負っています。無病息災の神。
7 弁財天(妙昌寺)
ただ一人の女神でビワを弾いています。芸能の神。七福神めぐりは、他の巡礼(四国八十八カ所、三十三観音、三十六不動)と比べると、数が少なく手頃なので、全国にたくさんの七福神札所があります。
<* 天海僧正が家康公へ「数字の7は家康公にとって縁起がいい」、と進言してから七福神信仰は盛んになった、とのことです。
江戸の七福神信仰は、天海の奨励によるもの>
Thứ Bảy, 13 tháng 2, 2010
六道輪廻(ろくどうりんね)って?
輪廻とは、輪がぐるぐるまわることです。
ヒンドゥー教では、人は、永遠に此岸(しがん)で生死を繰り返し、苦しみ続けます。
六道とは、
- 天道
- 人道
- 阿修羅道
- 畜生道
- 餓鬼道
- 地獄道
「道」とは、世界のことです。
たとえ天道にいても、おこないが悪いと別の世界へ転落します。
* * *
これでは、あまりにみじめなので、お釈迦様が彼岸(ひがん)へ渡れる宗教をつくりました。
それが仏教です。
仏教では、彼岸(ひがん)にある極楽に行くことができます。
そこでは永遠に生きることができます。
賽(さい)の河原って?
お地蔵さんって?
* * *
【図解】パワーポイントで六道輪廻を描く
- グリッドとガイドを表示
[ホームタブ]―[配置]―[配置]―[グリッドの設定―[…] - 正円を描く
[ホームタブ]―[図形描画グループ]―[円]―[Shiftを押しながら描く]―[正円の中点をガイドの交点に] - 線の太さを3に
[図形描画グループ]―[図形の枠線:太さ]―[3pt] - 垂線を引く
[図形描画グループ]―[直線]―[垂直に] - 線をコピペし、回転
[垂直線]―[コピペ]―[2番目の線:右クリック]―[配置とサイズ]―[サイズ]―[回転:+60]
3番目の線も同様に
回転は、[書式タブ]―[配置グループ]―[回転]からも - 文字の挿入
[ホームタブ]―[図形描画グループ]―[テキストボックス]
《*上図のような3重線は円をコピペし、拡縮。
下の赤線は線幅を12ptに》
(2010年10月11日改稿)
Chủ Nhật, 7 tháng 2, 2010
仏と菩薩(ぼさつ)のちがい
ほとけさんを気前のいいおじいさんとすると、
菩薩はパパです。
おじいちゃん(ほとけ)は、孫に全部あげます。
パパ(菩薩)は、孫に半分だけあげます。
仏像の4区分:如来、菩薩、明王、天部
釈迦の次は、弥勒菩薩(みろくぼさつ)
多宝塔(たほうとう)って?
観音さんは、やさしさが魅力
菩薩はパパです。
おじいちゃん(ほとけ)は、孫に全部あげます。
パパ(菩薩)は、孫に半分だけあげます。
仏像の4区分:如来、菩薩、明王、天部
釈迦の次は、弥勒菩薩(みろくぼさつ)
多宝塔(たほうとう)って?
観音さんは、やさしさが魅力
Thứ Bảy, 26 tháng 12, 2009
川越の七福神

(クリックで拡大表示)
七福神は、神も仏もミックスしたいかにも日本的な信仰対象です。
最寄りのお寺から反時計回りに回ります。
- 毘沙門天(妙善寺)
鎧をまとっています。勝負の神。ヒンドゥー教から。
上杉謙信は毘沙門天を信仰しました。 - 寿老人(天然寺)
老子が神になった姿で、帽子をかぶっています。
寿(長寿)の神。道教から。 - 大黒天(喜多院)
米俵の上に立っています。頭巾をかぶり、肩に袋をさげています。
富貴の神。農業の神でもあります。
ヒンドゥー教から。シバ神の夜の姿が原型です。
大国主神(オオクニヌシノカミ)の「大国」は「だいこく」とも読めるので、
いつしかオオクニヌシ(大国主)をもあらわすようになりました。
オオクニヌシは、出雲大社の神です。
「えびす、だいこく」で日本の2大産業(漁業と農業)の神様となります。 - 恵比須天(成田山)
鯛をかかえています。
商売繁昌の神。「えび」との語呂合わせで漁業の神でもあります。
日本の神道から。 - 福禄寿神(蓮馨寺)
頭が長~く、長~いヒゲをはやしています。
福(幸福)、禄(財産)、寿(寿命)の神。道教から。 - 布袋尊(見立寺)
大きな袋を背負っています。無病息災の神。中国仏教から。 - 弁財天(妙昌寺)
ただ一人の女神でビワを弾いています。芸能の神。仏教から。
小江戸川越七福神
川越まちなか避難・観光地図 武蔵観研作成
Thứ Hai, 30 tháng 11, 2009
日本のすべての宗教の土台には、戒律嫌いの日本教が
日本文化の基層には「日本教」という宗教があります。
日本教は、戒律をきらいます。
仏教、儒教、キリスト教など外来の宗教は、結局は日本教に吸収されてしまい、本来のものとかけ離れてしまいます。
仏教の柱は戒律にあります。
鑑真(688- 763)が、3回の失敗を押して、日本に来たのも戒律を伝えるためです。
しかし、天台宗をはじめた延暦寺の最澄は、戒律をなくしてしまいした。
仏教の総本山比叡山延暦寺出身の親鸞、日蓮もそれに続きました。
中国の儒教の戒律を、日本人は知ろうとしません。
イスラム教を日本人が受け入れないのは、戒律だらけだからです。
比叡山のふもとにあるので「坂本」とよばれます。
「石積みの町」とよばれます。
坂本龍馬の先祖の出身地とも。
ここには日吉大社があります。
坂本【地図】
日本教は、戒律をきらいます。
仏教、儒教、キリスト教など外来の宗教は、結局は日本教に吸収されてしまい、本来のものとかけ離れてしまいます。
仏教の柱は戒律にあります。
鑑真(688- 763)が、3回の失敗を押して、日本に来たのも戒律を伝えるためです。
しかし、天台宗をはじめた延暦寺の最澄は、戒律をなくしてしまいした。
仏教の総本山比叡山延暦寺出身の親鸞、日蓮もそれに続きました。
中国の儒教の戒律を、日本人は知ろうとしません。
イスラム教を日本人が受け入れないのは、戒律だらけだからです。
最澄が生まれた滋賀県大津市坂本の町
比叡山のふもとにあるので「坂本」とよばれます。
「石積みの町」とよばれます。
坂本龍馬の先祖の出身地とも。
ここには日吉大社があります。
坂本【地図】
Chủ Nhật, 22 tháng 11, 2009
法然、浄土宗、増上寺、蓮馨寺
![]() |
芝の増上寺 |
![]() |
巨大な三門 |
![]() |
黒門 三門のわきにある庫裡の表門。桃山時代の豪華さがしのばれます。 唐獅子、牡丹が浮き彫りされています。 |
1584年には、川越・蓮馨寺(れんけいじ)の源譽存応 (げんよぞんのう、1544年 - 1620年)が第12世になりました。
1590年には、徳川家康は増上寺を菩提寺(先祖をまつる寺)にしました。
増上寺は僧侶の大学でもあったので、学寮も100以上あり、
常時3000名の僧侶が修学していました。
常時3000名の僧侶が修学していました。
増上寺には、二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の六人の将軍の墓所がもうけられています。
寛永寺にも6将軍の墓所があります。
増上寺は浄土宗の大本山です。
知恩院は浄土宗の総本山です。
◇ ◆ ◇
平安時代の終わりごろには、貴族の間で極楽往生への願い、浄土にいる阿弥陀さまへの信仰が急上昇しました。
平安時代の終わりごろには、貴族の間で極楽往生への願い、浄土にいる阿弥陀さまへの信仰が急上昇しました。
法然(1133-1212)は、貴族独占の仏教を大衆化しました。
南無阿弥陀仏(ナム・アミダブツ)は、「おすがりします、阿弥陀さまに」の意味です。
これを法然は、「お願いします。救ってください。」の意味に変えました。
弟子の親鸞は 「全部阿弥陀さまにおまかせします。」としました。
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Chủ Nhật, 15 tháng 11, 2009
法然は仏教を万人のものに
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京都・知恩院 2009年 |
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法然上人八百年御忌(ぎょき)大会 2011年 |
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法然上人(ほうねん しょうにん) 句碑 |
「池の水 人の心に 似たりけり 濁り澄むこと 定めなければ」 (増上寺)
池の水は、人の心に似て、時には澄み、時には濁り定めがありません。
私の心も信仰に包まれたり、煩悩に悩まされたりで、安定しません。
だからこそ、阿弥陀さまにおすがりしよう。
法然が、9歳の時父が横死します。
法然は父の遺言で仏門に入りました。
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法然(1133-1212,78歳)は、15歳から43歳まで28年間、比叡山で修行します。
5千巻以上の一切経を5度読みかえしました。
「智恵の法然」とうわさされました。
法然は、きびしい求道家でした。
内のきびしさを温和と寛容の風貌に包んでいました。
平安末期は、保元の乱(1156)、平治の乱(1159)、
相次ぐ天変地異で歴史の大きな転換期でした。
1175年、法然は浄土宗を開きます。
熊谷直実(くまがい なおざね)も法然に師事します。
熊谷直実
かつて、仏教は、国家宗教で、僧侶は国家公務員でした。
僧侶の役目は、国家、貴族だけを守ることでした。
裕福な貴族たちは、仏像をつくり、寺を建立しました。
貴族だけが浄土に行くことができました。
それを、法然は「南無阿弥陀仏をとなえれば、極楽往生できる」としました。
専修念仏(せんじゅねんぶつ)と言います。
老若男女、僧俗貴賎を問わず往生できます。
「往生」とは、<往(い)って(浄土で)生きる>ことです。
はじめて女性に布教したのは法然です。
法然の新しい仏教は またたくまに民衆の間に広まりました。
が、権力はこの民衆の宗教運動を嫌い、法然、弟子の親鸞を島流しにします。
法然75歳の時です。
流罪地は土佐でした。
80歳の時、法然は許されて土佐から京へ戻ります。
知恩院の勢至堂(せいしどう)で2ヶ月をすごし往生しました。
法然は、仏教を日本風に発展させ、万人のものにしました。
8つの大師号を朝廷から送られています。
日蓮が最も尊敬したのは法然です。
いまの世の中は、人間中心の極端な合理主義、競争原理のために、人類のみならず生物の存続までもが危うくなっています。
人間はおろか、無力、不完全です。
法然のやさしさ、あたたかさ、おもいやりが、必要なようです。
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知恩院
7000以上の浄土宗寺院の総本山です。
京都東山にあります。
100棟以上の伽藍(がらん)を構えています。
法然上人絵伝
法然上人行状絵図(48巻)は国宝です
仏教絵ばなし 法然さま【音声】
法然と親鸞
前進座講演。2009年12月15日まで青山劇場にて 。
法然の弟子が親鸞です。(2009年蓮馨寺(れんけいじ)粂原恒久住職紹介)
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「第三十九段」『徒然草』、法然上人の睡魔について
ある人が法然上人に
「念仏を唱えているとき、睡魔におそわれ仏道修行をおろそかにしてしまうことがあるのですが、どうしたら、この問題を解決できるでしょうか?」
と訪ねたら
「目が覚めているときに、念仏を唱えなさい」
と答えたそうな。とってもありがたいお言葉である。
また、
「死後に天国に行けると思えば、きっと行けるだろうし、行けないと思えば無理だ」
と言ったそうな。これも、とってもありがたいお言葉である。
それから、
「死後に天国に行けるかどうか心配しながらでも、念仏を唱えていれば、成仏できる」
と言ったそうな。これまた、とってもありがたいお言葉である。
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