呑龍(どんりゅう、1556-1623)は、埼玉県春日部市で生まれました。
蓮馨寺の存応が大本山・増上寺の法主(ほっす)の時に修行僧になりました。
存応の弟子です。
存応は、大本山・増上寺の第12代目法主(ほっす)です。
1590年、徳川家康が入府に際し、徳川家を増上寺の檀家にしました。
徳川家康が、徳川家の先祖をまつる群馬県太田市に大光院(だいこういん)を建立すると、初代住職に抜擢されました。
新田義重は源氏の武将で、新田氏を興しました。
大光院(だいこういん)は、徳川家の祖とされる新田義重(にった よししげ)を供養するための浄土宗の寺です。
関東18壇林(僧侶大学)に属する格式の高い寺です。
呑龍(どんりゅう)は、捨て子や貧しい人々の子供を弟子という名目で受け入れ、養育いたしました。
このため、「子育て呑龍」と呼ばれ、民衆から尊敬されました。
呑龍は、孝心のために国禁の鶴殺しをした子をかくまい続け、諸方に逃れます。
師の存応が、臨終の際、2代徳川秀忠に赦免を願い、呑龍は大光院に復帰しました。
蓮馨寺(れんけいじ)では、正面の呑龍堂に、呑龍上人をまつり、毎月8日を「呑龍デー」という縁日にしています。
蓮馨寺での一番人気は呑龍です。次に存応、存貞と続きます。
子育て呑龍「大光院」
関東18壇林
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