Thứ Bảy, 19 tháng 6, 2010

日本にも宗教戦争の時代が

 1536年、戦国大名並みの武力集団である比叡山延暦寺の天台宗の僧徒が、
京都の日蓮宗の21もの寺を焼き討ちにします

最澄の天台宗は、出家主義です。
出家して、お経を読み、修行につとめねばなりません。
僧侶、貴族だけが浄土に行くことができました。

法然、その弟子親鸞は、「南無阿弥陀仏をとなえれば、極楽往生できる」とし、庶民も往生できるようにとなえました。

日蓮も同様の立場でした。
「南無妙法蓮華経」と称えれば、功徳にあずかれると言い出しました。

教義がやさしく楽なので、信者がどんどん増え、狭い洛中に21もの日蓮を奉じる寺ができました。
日蓮に信者をとられた延暦寺軍が、報復にでたのがこの焼き討ち事件です。

このときは、日蓮宗が被害者ですが、加害者の場合もありました。

上の事件の4年前の1532年、日蓮宗軍は、無防備の京都の山科本願寺を焼き討ちにしました。
本願寺は、その後これにこりて、大阪に戦国最強の城風の石山本願寺を築きました。

戦いの原因は、「南無妙法蓮華経」の日蓮宗にとって、「南無阿弥陀仏」の法然、親鸞は邪教だったからでした。

このように、日本にも宗教戦争の時代がありました。(【cf.】井沢元彦







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