江戸時代、山形藩は、藩主が20年に1度の割合で、13度も変わりました。
藩主は徳川の譜代だったため、ほとんどが江戸で幕閣の諸役についており、租税を吸い上げるだけで、藩をかえりみるいとまがありませんでした。
また、また、 どうせいずれ別の土地に転封されるだろうからと、街にも城にもお金をかけませんでした。
江戸初期の最上氏の時は57万石の居城でしたが、小さい藩の時は5 万石でした。
しかし、街はウルシ、紅花(べにはな)などのこの地方一帯の物産の集散地として、華やかなにぎわいを見せていました。
藩は行政に不熱心でしたが、住民の方 がみずからの才覚と努力で街を立派につくっていました。
山形藩
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