1609年、薩摩は琉球を支配し、貿易を通し膨大な利益を上げていました。
薩摩や長州の重商主義への転換を、先見の明のある田沼意次(たぬま おきつぐ)は薩摩・長州よりも早く、考えていました。
田沼意次は、近代日本の先駆者でした。
側用人の田沼を抜擢し、全権を託したのは、9代家重と10代家治でした。
しかし、経済を米中心から商業中心に移そうする重商主義政策は、保守層から大反発を受けます。
保守層にとって、重商主義は士農工商の社会階層をこわすことであり、最下位の「商」を幕府が支援することは、世の秩序を乱す悪行だととらえました。
支配層は、田沼意次を失脚に追い込みました。
家康は、信長、秀吉が貿易によっていかに富をたくわえたか知っていましたから、貿易をしっかり営んでいました。
しかし、このことはそのころすでに忘れ去られていたようです。
* * *
江戸時代の享保の改革、寛政の改革、天保の改革は、いずれも重農主義でした。
「田や沼や よごれた御代(みよ)を改めて
清くすめる白河の水」
と庶民は狂歌で歓迎しました。
しかし、
「白河の清きに 魚も住みかねて
もとの濁りの 田沼恋しき」
という狂歌が出たように、後世になると田沼時代を懐かしむ声が聞かれました。
*白河:松平定信は白河藩の藩主
田沼意次
田沼時代
井沢元彦読書メモ まとめ
Không có nhận xét nào:
Đăng nhận xét