太田道灌(1432-1486)は、室町時代の人です。
1457年、道灌は江戸という漁村に小さな城を築きました。
江戸城につづき、川越城、岩槻城も同じ年に築きました。
江戸城には、川越の日枝神社を分祀しました。
のちに日枝神社は、江戸城から移転し、いまは赤坂日枝神社となっています。
武蔵の中心は府中でしたが、江戸城の建設により、江戸に移りました。
道灌は、歌人として高名で、京都で足利義政、天皇にも拝謁しています。
足利義政は、8代将軍で東山文化を築きました。
川越市役所前(川越城大手門跡)に道灌の立像があります。
太田道灌像
道灌橋もあります。
道灌橋
川越の富士見櫓も道灌が建設したものです。
日暮里地区には道灌山通りがあります。
道灌山通り
越生(おごせ)町の龍穏(りゅうおん)寺に墓があります。
越生(おごせ)町には 「山吹(やまぶき)の里歴史公園」があります。
太田道 灌の山吹の里:越生町
太田道灌
太田道灌
太田道灌関係年譜
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