川越菊まつり@喜多院。2010年11月17日 |
*山 吹の里の位置 Mapion
ある日、太田道灌(1432-1486)はにわか雨にあい、粗末な家にかけこみました。
「蓑(みの)を貸してもらえぬか。」と声をかけると、少女が出てき ました。
その子は、蓑ではなく山吹の花をだまって一輪さしだしました。
太田道灌は「ほしいのは花ではない」と怒り、ぬれながら帰宅しました。
*蓑 虫 【画像】蓑に由来する虫
その夜、太田道灌は近臣から、古歌を示されました。
七重八重花は咲けども
山吹のみ(実)のひとつだに
なきぞかなしき
娘は蓑ひとつなき自宅の貧しさを山吹にたとえたのでした。
太田道灌は、不明を恥じ、この日を境に歌道に精進するようになりました。
*ここの山吹は、八重山吹(ヤエヤマブキ)といって、実がみのりません。
太田道灌は、1457年に父と川越城を築きました。
兵法に長じ、歌人としても名高く、漢詩文の素養にもすぐれていました。
「七重八重(ななえやえ)
花は 咲けども
山吹の
みのひとつだに
なきぞ
悲しき」
山吹の花
しだれた枝が風になびくさまを「山振(やまぶり)」と表現し、 「山吹」になったと言われています。
山吹はバラ科に属します。
山吹色とは、わずかに赤みを帯びた鮮やかな黄色です。
山吹橋のたもとに鶴が
【cf.】竜門冬二『小説 太田道灌』PHP文庫、1994年
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